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2021年2月6日
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練習日誌
「春遠からじ」と思わせるせ暖かな日差し、まったりとした時間が流れる土曜の昼下がり。が、またもや延長された緊急事態宣言下でのリモート練習。「コロナの冬」の終焉は、いまだ…見えない。 本日の練習内容は、ヴォイストレーナーによる「筋肉人体図(怖い!)」を見ながらの、口輪筋や大頬骨筋のほぐし方の伝授。腹直筋、腹横筋、外腹斜筋、内腹斜筋に「活」をいれる呼吸法の確認。そのあと、しばしば固まるzoom機能に悪戦苦闘しながらの、「また落葉林で」アルト中心のアナリーゼと、詩の解釈等々であった。参加人数減少(21+α名)ではあったが、リモート発信側の膨大な準備作業と多大な努力に、心からの敬意を表したい。 以上 B.練習日誌担当
と筆を置くところだが…孤独な歌い手には、さらなる思いがつのる。病と死の不安が、生への執着を強めるように、コロナの恐怖が、かつての日常のありがたさを増幅させる。友と集い、声を合わせたあの頃が、なおさらのこと、いとおしい。 かえりみれば、過剰なほどに懇切丁寧な指導に対して、私達のふるまいは、あまりにも受動的ではなかったか?かつて、歌は、あふれ出る感情の、無二の表現手段であった。歌う側から聴く側への、あるいは、歌う側同士の意思疎通の場でもあり得た。ならば、作品理解のアプローチは、楽曲分析や、詩と詩人への文学的考察に終始していて、それだけでよいのか?「表わすべきもの」を、どのように咀嚼し、熟成させて、「伝えるべきもの」としてみずからの心のうちに宿せばよいか?いつか来る三密解禁後のリアル練習では、それぞれが持ち寄るさまざまな意思や価値観を「多様性の受容」として「交感」できれば、と願う。他者との接触を封じられ、孤立せざるをえない今こそ、その日を迎えるための「雌伏の時」でなければ…。先人は言う、受け身の娯楽では得られぬ魂の充足、精神の高揚こそが芸術であると。
コロナによって世界が一変し、先の見通せない暗闇の中をさまよう今。行く手を照らす一条の光として、私達には、まだ、歌がある。
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