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2018年4月21日
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真夏日の東京
練習日誌(4月21日 東中野)の第一稿は自らボツにした。それは、過酷な現実直視とあまりにもネガティブな表現に満ちていた為…。反省の材料としては有益でも、表現手段として「歌」を選んだ者としては早々に忘れ去るべき心の重荷。そう、私たちは9週間後「帆を上げ、翼を広げ、若者たちと音楽世界を飛翔」しなければならないのだ。 O氏は「島よ」を75名で演奏したいと明言、OBのさらなる参加に尽力せよとの要請有り。OB単独ステージに現役の参加もありうると……トホホ。 最近「白鳥の歌」をリリースしたL・K氏のピアノは絶好調。O氏の棒と、私たちの歌との乖離のはざまに優しく、そしてまた毅然と介入。音楽を音楽たらしめるプロの技を披瀝した。 合同ステージの第2曲。F先生の突然の他界、まさにその時のDグリーの学生指揮者がこの曲の作詞者。そうした背景を認識した時、歌詞の「魔法の指先」や「心惑わす音楽」や「唐突に、僕らのもとを離れた」などの言葉の数々がF先生へのオマージュと愛惜の念であったと、私たちの心にも突き刺さる。DグリーのDグリーによるDグリーの為のこの曲を、なぜ混声編曲してまで、私たちが歌うのか?その答えが、複雑なリズムや厄介な音程の克服の先に見えてくる………………………………かもしれない。 次週は第3曲のみの練習。はたして帆は高く上がるか? 2018.4.23 舞台写真家K氏の一周忌の日に記す ベースS
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